現代の斎場御嶽

琉球大学医学部は「現代の斎場御嶽」である

琉球大学医学部が「現代の首里城」をイメージして設計されたことは、前項で紹介した。これは設計士さんのコメントが本に掲載されているし、琉球 大学医学部の案内板の横にあるモニュメントにもそのように書かれているので、文献的にも実証されていると考えられる。これに加えて、恐れ多いが、私は「琉 球大学医学部は『現代の斎場御嶽』である」という仮説を提唱している。
  斎場御嶽(せーふぁうたき)は現在の南城市にある史跡であり、15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。「せーふぁ」とは「最高 位」の意味で「斎場御嶽」とは「最高の御嶽」という意味である。敷地内には首里城内の施設名と同じ拝所が複数ある。3つの拝所が集中する最奥部の三庫理 (さんぐーい)には「京(けう)のはな」という最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされている。なお、三庫 理からは王国開闢にまつわる最高聖地である久高島を遥拝することができる。王国時代は文字通り王国最高の御嶽とされ、国家の最高神職である聞得大君が管理 した。聞得大君の就任儀式「御新下り(おあらおり)」が行われた御嶽でもある。現在でこそ観光地化されているが、かつては琉球の御嶽は全てが男子禁制であ り、斎場御嶽では庶民は入口の御門口(うじょーぐち)を越えて進入することは許されず、国王であっても、御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める 必要があったという。2000年11月には首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている。

さて斎場御嶽の特色は、首里城の分身であり、かつ「神の島」である久高島が見える点にあると考える。沖縄県最大の観光名所の1つである首里城の場所には、 かつて琉球大学が存在していた。1979年に琉球大学が西原の丘に移転すると1980年代に県および国による首里城再建計画が策定され、本格的な復元がは じまった。1989年、遺構の発掘調査や昭和初期の正殿改修図面・写真資料、古老の記憶などを元に、工芸家や職人を動員した当時の装飾・建築技術の復元作 業が行われて正殿他の再建が始まった。1992年には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され首里城公園が開園した。すなわち琉球 大学の移転により、首里城が復元されたのである。そしてこれは偶然かもしれないが、琉球大学が西原の丘に移転することにより、琉球大学医学部附属病院は 「神の島」である久高島が見えるロケーションを得たのである。もちろん「海の広場」と呼称されているあずまやからも見ることができ、入院中の患者さんの憩 いの場となっている 。


いわゆる「海の広場」と呼称されるあずまや


多くの患者さんの憩いの場となっている


海の広場」からは、右側に知念半島が、左側に「神の島」である久高島が明瞭に見える

さて琉球大学医学部附属病院の中で、久高島が最も明瞭に見える場所はどこであろう。 まず東側で、かつ高い所がベストスポットである。となると、もちろん病院の屋上かもしれないが、常時、鍵がかかっているため見に行くことは現実的には不可 能である。この点を考慮すると、10階東病棟がベストスポットとなる。私は回診の際に感じていたことであるが、10階東病棟の感染症病室の周囲は、壁がス テンレスであるということも相まって、極めてエネルギーの高い場所であると感じていた。実は、その感染症病室の奥に「神の島」である久高島が存在していた のである。感染症病室の廊下の写真を見ていると、斎場御嶽の三庫裏(さんぐーい)を180度反転したイメージと似ている。


三庫裏(さんぐーい)を180度反転したもの。斎場御嶽のシンボルで、久高島を見ることのできる場所。半三角形の洞門の奥の光が射し込んでいる場所。神秘的な風景と洞門から吹き寄せてくる涼風が相まって、聖域から出ている「気」を感じさせる。


東10階病棟にある感染症病室の廊下。光が反射してまぶしいくらいである。偶然であるが写真の角度が斎場御嶽のシンボルである三庫裏(さんぐーい)を180度反転したものと似ている
(三好和義氏撮影)

また斎場御嶽においては、入って左側に久高島を見ることができるが、10階東病棟からは、出て右側に久高島を見ることができる。障害物の形まで似ている印象がある。


三庫裏(さんぐーい)洞門をくぐり、光が射すそこは久高遙拝所【くだかようはいじょ】と言い、琉球開闢に登場するアマミキヨという女神が降臨したという神話の島「久高島」を望むことができる
(三好和義氏撮影)


10階東病棟感染症病室の廊下から外に出て、右方を臨んだもの。神の島である久高島を見ることができる。

このようなロケーションで、「神の島」である久高島を見ることができる病院は、琉球大学医学部附属病院以外には存在しないであろう。
さらに久高島に行く機会があった際に、久高島からの帰りのフエリーからぼんやり知念半島を眺めていて気づいたことがある。それは久高島から見る知念半島(斎場御嶽を含む)を180度反転すると、久高島から見る琉球大学医学部のシルエットが似ていることである。


久高島から戻るフエリーから見た知念半島


久高島から戻るフエリーから見た琉球大学医学部

もし八百万の神様が久高島に集って酒宴を開いていたとして、少し酔っ払った神様が誤って琉球大学医学部に来てくれないかな、と想像をめぐらしている。さ て琉球大学医学部が斎場御嶽であるならば、どの構造がそれを反映するかについて解説したい。下の図に示すように、病院と研究棟との間が「気」の通り道に なっているのではないかと考えている。もちろん久高島から見た琉球大学医学部のシルエットもこの両者の位置関係から構築されている。


左側に附属病院、右側に研究棟、真ん中が久高島の見えるあずまやである。附属病院と研究棟とのスペースに気の流れがあるように感じる(三好和義氏撮影)

これまで述べてきたことが奇説であることは十分認識しているが、我々は「現代の首里城」と「現代の斎場御嶽」で学んでいるのである。

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